シベツジカン
くるるん工房/
昭和58年(1983年)創業・結成。私たちのマチにいるサフォーク種の羊毛からの工芸作品を作り始めました。
試行錯誤を繰り返しながら、羊毛を洗い・草木や化学染料で染色し、セーターやニット製品、マフラーを製作・販売。また、各種の体験メニューを用意。
今では多くの皆さまに支えられながら、四季に応じてフェアを開催。
そんな私たちの作品づくりの工程や私たちの活動をご紹介しております。
*食肉、工芸、観光…多方面からまちおこし*「羊のまち」に貢献 今後も
士別のシンボル、サフォーク種の羊を軸に、肉、毛の活用など多方面からまちづくりを推進する市民団体「士別サフォーク研究会」が設立され、今年で40年。士別らしさを追求する同会の歩みと展望について、志村富美恵会長(56)に聞いた。(聞き手・士別支局 大口弘明)
――会長は、研究会の部会の一つで、羊毛を活用した工芸に取り組む「くるるん会」を中心に活動してきました。羊毛の魅力とは。
「羊毛には温かさ、癒やし、やすらぎを感じます。羊毛を毛糸にして編むことだけでなく、染め、織りや(羊毛に針を刺して造形する)ニードルフェルトと、バリエーションがたくさんある、奥深さも魅力です」
――会員が作ったセーター、手袋などの作品を、観光牧場羊と雲の丘の一角にある「めん羊工芸館くるるん」で販売しています。
「大型連休中は観光客が多く、コースターとか針山など小物が売れます。マフラー、帽子といった製品は秋口ですね。メンバー15人がそれぞれ時間をみて作るので、大量生産はせず一点一点大事に作るものが多い。『色違いがほしい』とか『高い』とも言われますが、手間暇を考えると―。東京などの物産展では『いいもの』として認め、買い求める方が多くいました」
――羊毛を使った作品のコンテスト「ニット大賞」を隔年で開いています。
「昨年も全国から作品が集まり、ニットデザイナーの広瀬光治先生に特別審査員で来てもらいました。『ニットのコンテストはとても貴重。ぜひ続けてほしい』と言われました。応募者の多くは、作品が展示されるのを見に士別まで来てくれる。昨年はコロナの影響がありましたが、観光にも役立っています」
――在札幌グアテマラ名誉領事で税理士の名越(なごや)隆雄さんの仲介で、同国の天然染料で羊毛を染める活動に向け前進しています。
「私たちはこれまでも、士別の植物での草木染を重視していて、通じるところがあります。名越さんや、グアテマラの事情に詳しい人を招いた勉強会を6月に開きます。研究会の活動を通じ、たくさんのご縁が生まれ、喜んでいます」
――研究会全体で見ると、くん製ラム肉を使った新商品開発や、観光客と羊とのふれあい体験など、最近の活動も各部門で多岐にわたっています。
「40年間、絶えることなく続いているのはすごいこと。羊皮紙の生産は昨年終わってしまいましたが、手間暇かかる作業なのによく続きました。100人ものメンバーがいて、やることも考え方もそれぞれです。でもまちおこし、という1点で協力し合っている。士別に貢献したい、という気持ちでつながっています」
*取材後記
羊毛は、春に刈った羊の毛を受け取った後、洗って脂やごみを除去したら草木染。毛をすいて糸紡ぎ。編み始めるころには秋めいているという。作業の大変さや、メンバーの熱意の一端に触れた。羊といえば肉を思い浮かべがちだが、研究会員の中には、毛皮(ムートン)づくりを行う人もいるなど、関わり方は多様。「羊と雲の丘」の広い放牧地を見渡すたび、さらなる可能性を信じたくなる。
しむら・ふみえ
1965年、札幌市生まれ。北海道女子短大(現北翔短大)卒。在学中は舞台活動向けの衣装や小道具作りを行い、羊毛染織にも役立つ経験を積む。88年に結婚、92年に夫の実家のある士別に転居。2002年、くるるん会入会。18年から士別サフォーク研究会会長。
(2022年5月23日掲載)
※掲載情報は、取材当時のものです。閲覧時点で情報が異なる場合がありますので、予めご了承ください。
めん羊工芸館くるるん 代表 辰巳 美恵 さん【士別市】/北の輝く女性応援会議
毛糸と時を紡いで技術の伝承を
1943年生まれ、士別市出身。士別高校を卒業し、消防職員の夫と結婚。3人の娘に恵まれる。1982年の「サフォーク研究会」の立ち上げ時のメンバーで2009年から1期会長を務める。2009年には、めん羊牧場がある「羊と雲の丘」に「めん羊工芸館くるるん」を開設。木製の糸車や織機などを設け、手づくりの羊毛製品の製作指導にあたる。
きっかけ
幼いころに母親から編み物を教えてもらいました。長女だったので、冬になると弟たちの靴下や手袋を毛糸で編んでいました。1970年代になると、士別市が直営で羊の放牧場を開設。食用サフォークを観光資源にする研究が始まりました。そんな中、青年が中心となり、1982年に町おこし団体「サフォーク研究会」を設立。私は手芸が得意だったので、春に牧場で刈る羊毛を使ってマフラーを作れないかと考え、翌年に同研究会の部会として、羊毛加工グループ「くるるん会」を立ち上げました。
苦労
士別市は羊・サフォークのまちとして、認知度が高まってきましたが、そこに至るまでさまざまな努力がありました。くるるん会では、牧場で刈り取った羊毛を洗浄、染色し、毛糸玉にするまで、多くの方に協力を頂いて試行錯誤を重ねてきました。さらに毛織り技術の向上を図るため、自ら東京の専門学校で講習を受け、士別市に戻って仲間に指導しました。札幌市のデパートでの展示販売会では、羊毛製品の素晴らしさを紹介したり、多くの方に工芸体験をしてもらえるよう、根気強くPRを重ねていきました。
満足度
2014年は羊年だったので、行政と市内の商工団体が集まって「サフォークランド士別プロジェクト」と称した各種イベントを催しました。2015年11月15日には、市民ら約330人が集まり、くるるん会員の作品を着用した「ニットファッションショー」を開催。地元の高校生がモデルになるなど大盛況でした。近年、夏になると、東京都など首都圏から道北の周遊観光の1つとして、工芸館に立ち寄り手芸体験をされます。さらに外国人観光客も訪れるようなるなど、今後の展開が楽しみになってきました。
これから
少子高齢化社会を迎え、士別市も高齢者が多くなってきました。この工芸館は、そんな高齢者の方々が気軽に集まれるような空間にしたいと思っています。毛糸玉を触っていると、自然と心が安らぎ、会話が弾んできます。さらに工芸館内にある木製の糸車や織機などが簡単に使えるよう、技術の伝承を図り、もっと若い世代に毛糸の紡ぎ方を教えていきたいです。小中学校の研修旅行の一環として、工芸館に立ち寄ってもらえるよう、地元の観光協会などと連携しながら集客に努めていきます。
北の☆女性たちへのメッセージ
手づくりのマフラーを大事な人に渡したことはありますか?昔と違って、若い女性が編み物をする機会が少なくなっています。1度でも時間をかけて、毛糸玉から編んでみてください。完成した時の達成感は最高ですよ。若いお母さんも子どもに手袋や靴下を編んであげると、あなたの愛情はきっと子どもに届きますから。
北の大地、北海道。その北の方にあるまちの旭川から、車や電車でさらに北へ向かうこと約1時間の距離に士別市はあります。市街地を囲むように連なる広々とした丘の上では、長年羊の飼育が盛んに行われてきました。そんな士別で多く飼育されている黒い顔がかわいらしい羊の種類の名前を取って、まちは、❛サフォークランド士別❜の愛称で親しまれています。
北海道の大自然の中で。士別市。「めん羊工芸館 くるるん」は、士別市で飼育しているサフォーク種の羊毛を使い色々な工芸品を作製、体験、販売をしている施設です。羊毛の洗い、染色、紡ぎ、織り、編み、フェルト製作等様々な講習を体験しております。染色には地元の草、花、木などの草木染や化学染料による染色、思いのままにオリジナル作品の製作ができます。長期の滞在で本格的に習いたい方も、お気軽にお問い合わせください。※尚、体験料や商品には別途消費税を頂きます。
-
営業時間
夏期間(4月~10月) 9:00~17:00
冬期間(11月~3月) 10:00~16:00
-
定休日
水曜日、年末年始
住所:北海道士別市西士別町5351番地
電話:0165-23-3793
毛糸ができるまで
⼿芸店などで⾒かける毛⽷⽟、そして⽇々着ているセーターやカーディガンに使われている毛⽷など、
⽺毛は私たちの暮らしに密着した天然素材です。
元々は⽺のもふもふとした体毛だったものが、いったいどのようにして毛⽷になるのかご存知ですか?
⼯場などでの⼤量生産とは違い、⼿間隙かけたやさしい毛⽷は空気を多く含むため
ふわふわとやわらかであたたかく、毛にわずかに残る脂には天然の防⽔効果もあります。
ここでは「めん⽺⼯芸館くるるん」で体験できる、⼿つむぎの毛⽷の作り⽅と、その活用法をご紹介します。
洗い
毛刈りが終わったあとの⽺毛には、脂や汚れがたっぷり。
⼀晩漬け置きした⽺毛(お⽔はまっ茶⾊に染まります︕)を、ウール用の洗剤を使い
ぬるま湯で数回洗い流します。
洗濯機を使うと⽺毛が固まってしまうため、重労働でも⼿作業で。
その甲斐あってか、洗い上がりの⽺毛の美しさを⾒るととても⼤きな達成感に包まれます。
解⽑
⽺の⽇々の暮らしの中でくるんとまとまってしまった⽺毛を、
⼿でほどいていく作業を解毛と呼びます。
毛先を引っ張りながらほどいていくと、毛に絡まってしまった草やゴミなども取り除くことができます。
一見地味なのですが、「実は好きなんだよね」という⽅が多い作業です。
どうやら癒しの効果があるよう。カードかけ解毛でほどけた⽺毛を機械で均⼀にならし、
ふんわりと空気を含ませる⼯程をカードかけといいます。
別々の⾊に染めた⽺毛を混ぜるのにも使います。
フェルト
カードをかけた⽺毛は、フェルティングニードルと呼ばれる、針で⽺毛を刺し固めていく技法や、
せっけん⽔をかけてこすり固めていく⽅法に使うことができます。
⼠別産サフォークの⽺毛はシャリシャリとした質感のおかげでまとまりやすく、
フェルティングニードルにぴったりです。
手つむぎ
⽺毛にカードをかけたら、次はいよいよいと⽷つむぎです。
最初はとにかく切らずにつなげていくことを⽬標に︕
ぽこぽこと太さが不揃いになってしまう⽷も、最初だからこその味があり、
帽⼦を編んだりするととてもかわいく仕上がります。
編み
出来上がった毛⽷はマフラー、帽⼦、靴下などの⼩物からセーターやベストまで、
あなたのお好み次第のぬくぬくアイテムに仕上げることができます。
(作り⽅も「くるるん」でお教えします。)
⼿洗い、
⼿つむぎの毛⽷はかすかに脂が残っているので、編んでいるうちに⼿あれがよくなることも。
もちろん天然防⽔の効果もあります。
織り
出来上がった毛⽷のもうひとつの活用法は、⼿織りです。
コースターなどの⼩物から⼤判のストールまで、編みに比べボリュームが出にくい分、
季節を問わず使いやすいアイテムに仕上がります。
お時間のない⽅は、事前にこちらで縦⽷をかけておくことで1⽇で仕上げることも可能ですので、
お気軽にお問い合わせください。
士別サフォーク研究会/サントリー地域文化賞受賞
サフォーク種の羊を地域産業の中で多方面にいかした市民主導の積極的町づくり 代表:神田 英一 氏 1999年11月更新
羊パーク「羊と雲の丘」
旭川市の北54キロの士別市に入ると、屋上看板は勿論、商店のシャッター、街灯、郵便ポストからマンホールの蓋にいたるまで可愛い羊の絵が溢れている。この英国サウスフォーク地方原産の顔と足が黒いめん羊「サフォーク」は、肉質が良く、採毛もできる。士別では畜産振興のため1967年に200頭が導入され、市内生産者への育種の供給と飼育技術の指導が行われてきた。
転機となったのは79年に士別市開基80周年を記念して青年会議所を中心に行われた「まちづくり市民集会」である。過疎、減反、離農、産業の衰退などの厳しい情勢の中、士別はいかに生き抜くべきかが真剣に議論され、その結果、サフォークを士別の顔としてあらゆる場面に活用する事に町の未来を賭けることにしたのである。そして、市民有志200人が会員となり、「士別サフォーク研究会」が82年発足した。
会費はサフォークをもじって3490円。羊を媒体として市民の交流が生まれ、サフォークの用途を研究する産業研究委員会、交流事業やイベントを企画する事業委員会、飼育繁殖研究の生産委員会、ニット製品の研究開発を行う翔糸委員会のほか、会員拡大委員会、広報委員会、観光委員会の7つの委員会がそれぞれ積極的に活動している。
なかでも、翔糸委員会は別名「くるるん会」とも言い、83年開催の「くらしと紡ぎセミナー」に参加した主婦を中心に二十数名で結成された。今では地元市民約120人が、天然素材100%のバージンウールを洗毛、染色、手紡ぎ、手織りとすべて手作業で製品化し、各地の物産展で好評を博している。なお、85年には製品販売を行う「株式会社サフォーク」が市民65名の出資で設立され、サフォーク研究会やくるるん会とのチームワークと市民のバックアップのもと事業を順調に拡大させている。
サフォーク500頭が放牧されている広大な市営めん羊牧場の丘には、91年、レストランを併設した羊の体験学習施設が第3セクター方式で建設された。94年には、日本ではここだけでしか見ることのできない6種類の羊をはじめ30種の羊が飼われている「世界のめん羊館」もオープン。この「羊と雲の丘」と名づけられた羊パークには年間7万人の観光客が訪れている。
また、95年には幼児から高齢者まで市民400人が参加し、延長1200メートルに及ぶめん羊牧場の牧柵作りに汗を流した。これをきっかけに、ラベンダーを植えたりコスモス園を造成したりと、市民の手による牧場施設の整備が続けられている。さらに、同じく120年の歴史をもつ羊のまち、オーストラリアのゴールバン市との交流も進められ、99年、同市と姉妹都市の調印が行われた。
はじめは若者の茶飲み話と批判の声もあったが、民間と行政のナイスコミュニケーション体制によって「サフォークランド士別構想」は着実に実現されてきた。この羊を核としたまちづくりに士別サフォーク研究会が果たしてきた役割は大きい。
サフォークで紡ぎ出した 士別市 「まち再興」/
公益社団法人 北海道国際交流・協力総合センター HIECC/ハイエック
米出荷日本一からサフォークランドへの “大変身” 道内では海外との姉妹友好都市提携は104組(2005年11月 現在)を数えるが、士別市がオーストラリアのゴールバーン 市(ニューサウスウェールズ州)と姉妹都市提携したのは、 95番目。1999年(平成11年)7月と比較的最近のことだ。 しかし、そこに至るには、地域住民と行政が一体となった まちおこし、地域再生への取り組みの歴史があり、その土壌 の上に、サフォークが懸け橋となった国際交流の結実がある。 士別市は明治の開拓以来、客土など泥炭地の水田改良に よって米作りに力を入れ、61年(昭和36年)には人口4万1 千人、米の出荷高も日本一を記録するなど「農業都市・士別」 は全国的にも知られる存在となった。 だが、減反率60%という国の稲作政策、それに伴う離農、 転出増などで一転して全国2位の過疎化地域になり、人口も 79年(同54年)には3万人を割り込んだ。 危機感を抱いた同市内の商業、農業、工業など各界、官庁の若手が、「まちづくり市民集会」などを開催、討論を重ね た結果、「活力あるまちづくり」の“エース”として着目し たのが、「パンダめん羊」の愛称を持つ英国原産のサフォー ク種。以来、ゴールバーン市との姉妹都市提携に結びつくサ フォークランド構想が、スタートを切ることとなる。 地域再生への新たな発想 もともと66年(同41年)に創設された士別市営めん羊牧場 にオーストラリアから輸入したサフォークが200頭ほどいた。 多くの市民が、顔が黒くパンダに似た愛くるしいサフォーク にマチの再生を託すシンボルを見た、といえる。 その具体化への第一歩が82年(同57年)、士別青年会議所 (JC)が創立25周年記念事業として発足させた「士別サ フォーク研究会」。同会議所メンバーだけでなく各層から市 民約200人の参加をみた。 その結果、めん羊関連地域の視察、羊肉料理の試食会を兼 ねた「市民の夕べ」の開催、勉強会、講演会など「めん羊のまち」へのさまざまな取り組みが始まった。 83年には市の中央公民館と共催で開いた、原毛の洗い、染 色、紡ぎまでの一連の技術講習「暮らしの紡ぎセミナー」が 好評で、講習後、20数人の主婦が手紡ぎサークル「くるるん 会」を結成したことから運動は市民レベルに拡大、主婦の内 職熱も相まって第1回ニットフェアーの開催にまで至った。 84年、東京の伊勢丹デパートの「大英国展」に出展されて いためん羊12種、12頭、翌年には同様に牧羊犬2頭が英国羊 毛公社からプレゼントされ、「世界のめん羊牧場―サフォー クランド」構想は具体化への新局面に入った。 同年、これらの活動に対して、サフォーク研究会が総務長 官賞、士別青年会議所が「まちづくり全国優秀賞」を受賞、 羊関連商品の販売のために、市民有志による「株式会社サ フォーク」も設立された。 同時に市も「開発振興室」を新設して、同研究会を積極支 援、ニットフェアーのほかに88年から「サフォーク祭り」も スタートを切った。 95年(平成7年)には市民250人が参加して、サフォーク ランド・士別の象徴ともなる「羊と雲の丘」の牧柵づくりも 始まり、地域再生は単なる構想を超え、具体的な姿となって 発展の道を歩み始めたゴールバーン市(豪州)と姉妹都市提携 これらの活動の中で、オーストラリアのゴールバーン市と の姉妹都市提携の動きが自然に付いて来る形となった。 1994、95の両年、同研究会は観光牧場の運営、飼育、羊肉 料理など「羊の国オーストラリア」でのノウハウを学ぶため、 市の人材育成事業の補助を活用して、10人からなる「オース トラリア・スタデイ・ツアー」を実施した。 これが縁になって96年、士別市で開かれたサフォーク・ フェスティバルにゴールバーン市からマーガレット市長ら8 人がはるばる来日、翌年の士別市長らのゴールバーン市訪問 で友好親善交流の合意書が交わされた。 もともとゴールバーン市側が姉妹都市を希望していたこと もあって、士別市も99年(同11年)に開基100年記念事業と して改めて姉妹都市提携に調印し直した。 同研究会を中心にしたまちおこし―羊が懸け橋となった、 珍しい姉妹都市提携といえる。
官民“協働”の国際交流
節目ごとの両市の親善訪問に加え、市民訪問団、高校生の 短期留学が1年置きに交互に行われている。ホームステイを しながらの各種交流、学校訪問などだが、姉妹都市提携の成 り立ちからも分かるように民間団体が重要な役割を果たして いる。 2回にわたる「さっぽろ市士別ふるさと会」によるゴール バーン市訪問は士別国際交流協会、同研究会など民間団体が 中心になったほか、3回の小学生絵画交換事業は同交流協会 と市の共催事業。また、市民訪問団や国際交流講演会は同交 流協会が主催、士別青年会議所も2002年(同14年)に創立45 周年記念の海外交流研修事業として、5人の高校生をゴール バーン市に派遣した――といった調子だ。以前から士別北方圏交流協会がカナダ、フィンランドなど の北方圏諸国との友好関係を模索したことに加え、青年会議 所などの民間団体によるまちおこし活動が活発化、国際交流 に関しては士別国際交流協会が民間団体を束ねる役割が定着 した。 これに市が1990年国のふるさと創生基金を運用して人材育 成・交流事業を創設、小、中学、高校生を対象にした事業に 4分の3、市民対象の事業に2分の1を補助し、民間の活動 を支援している。 市は「まちづくりのためにも人材育成が重要であり、国際 交流も高校生の短期留学を中心に、今までのように官民が一 体となる協働の考えでやっていきたい」(総務部企画振興 課)という。 「緑ゆたかで活動力あふれるまち」を第4次総合計画の基 本に掲げる士別市は「サフォークランド士別」と共に「寒冷地試験研究のまち」もまちづくりの核に据え、トヨタ自動車、 ダイハツ工業、ヤマハ発動機、ブリジストン、交通科学総合 研究所が同市で寒冷地の走行テストなどを行っている。 ゴールバーン市との姉妹都市提携の翌年の2000年(同12 年)、士別市はトヨタ自動車の城下町である愛知県三好市と 友好都市提携を結んだ。まちづくりの活力を国内外のネット ワークで広げていこうという狙いだ。 もちろん、ゴールバーン市との姉妹都市提携と同一視する わけにはいかないだろう。しかし、まちづくりの延長線で姉 妹、友好都市が誕生したという点では、共通の一面もあると いえる。 地域住民が自ら地域再生に取り組み、行政の協働を呼び込 んだ―このサフォークランドのまちづくりで、おのずから姉 妹都市提携を紡ぎ出した士別のケースは、今後の国際交流を 考える上で学ぶべき多くの点を持っているといえよう。
セクションタイトル
1937年高知県に生まれる。1941年士別市に移住。士別小学校~士別中学校~札幌藤女子高。
「学住道展」「純生美術展」「ロマン派展」などに入選入賞。
1961年女子美術大学芸術学部卒、故森田元子、故駒井哲郎氏に師事。1970年イタリア美術研修(ローマ滞在)
1972年渡仏。以来パリ滞在(~86年)。1977年版画個展(NDA画廊)。版画集「開かれたパリの窓から」出版(札幌)。1986年帰国、士別市在住。海外体験を生かし個人的にアートの海外交流を行い、訪問国は32カ国に及ぶ。国効立機関に作品が多数収蔵されている。1989年絵音の館オープン。士別市西1条7丁目電話0165-23-2657。絵音の館は、約100年前の英国(イギリス)風建築で、士別市文化遺産に登録が予定されているらしく、小池さんは「1階にはピアノもあるし、私の作品もアトリエとして残る。こんなに名誉なことはない。」と言われていた。アーティストインレジデンス/士別の芸術。
小池 暢子/しべつアーティストインレジデンス生みの親
「私も、もう85歳になって、身体も自分の思うように動かなくなって、アトリエを閉館してしまったのよ。けれどもね、1年イタリアに住んだ後、パリに行って、ルーブル美術館にはないけれど、パリ国立図書館やニューヨークのメトロポリタン美術館には、私の作品が飾られています。足利さんはフィリピンに住んでいたというけれど、私もフィリピンやアフリカをはじめ、世界45か国は訪問したかしら。こんな小さなおばぁちゃんでも、すごいのよ。」と笑う小池さん。
画家「小池 暢子(こいけ のぶこ)」生年:1937年(昭和12年丁丑)
※http://artisjapan.net/default.asp?action=1&num=14023
北海道新聞旭川新聞社/(https://asahikawa.hokkaido-np.co.jp/hokkyokusei/20170627.html)にはこう書かれている。
身長140センチ、体重37キロの小さな体で、重い鉄の塊であるプレス機を操り、細密な銅版画を刷り上げるパワーには圧倒される。士別市在住の版画家小池暢子さんの80歳を祝う作品展が市内で開かれている。専門の銅版画だけでなく、13歳の習作からデッサン、水彩、コラージュ、油絵など127点が展示されていて圧巻である。オープニングでは1964年の東京五輪の際、国立競技場のモザイクアートの制作に現場監督として関わったことで岡本太郎氏と親交が始まったことや、14年間に及ぶパリでの制作の日々が語られた。
今月14日の誕生日のトークショーでは、一般には知られていなかった小池さんの技法が紹介された。棒状の道具で複数の色を塗り分けて刷る一版多色刷りの「アラプペ技法」で、1枚の版に長い時間をかけて細かく色付けをして刷り上げる。その技法を学びたいと、世界各地から多くの版画家が小池さんの門をたたいたが、細かい仕事を根気よくこなせる日本人以外には無理だとギブアップしたということだ。
色付けする明るい色が混じり合うことなく鮮やかに刷り上がることで、特有のメルヘンに満ちた世界が現出される。小池さんの作品は米国ニューヨークのメトロポリタン美術館をはじめ世界各地の美術館に収蔵、展示されている。
北海道新聞旭川支社/小池暢子さん(80)*招へい事業の実行委員長 銅版画家*若手が士別に滞在し創作活動*芸術通し地域を豊かに 2017/11/05(https://asahikawa.hokkaido-np.co.jp/human/20171105.html)
「私が1986年にパリから戻って以降、士別では日本版画協会の移動展を3年に1度開いています。士別はスポーツ合宿や羊の飼育などが盛んですが、版画もある。士別のまちづくりに文化的、アーティスト的な要素が必要だと思っていました。博物館職員の熱心さもあって文化庁補助金を受けることができ、呼び寄せる芸術家の滞在費などを全て賄えています。せっかく呼ぶのなら、プロの芸術家。そこにはこだわりましたよ」
――初回は東京から銅版画家2人を呼び、制作テーマは「士別の冬」でした。
「事業では士別の春夏秋冬をテーマにします。初回は冬、今回は秋です。初回では、日本版画協会を通して参加を呼び掛けました。銅版画家の2人は一番寒い2月に来ましたが、豪雪地帯を訪れるのは初めてで冬靴も持っていない。市内のあちこちを連れて回りましたが、市内は雪に埋まり一面真っ白。銅版画は白黒の作品が一般的で、出来上がった作品はどれも白っぽいものでした。でもそれが冬が半年間続く士別らしさですよ」
――芸術家も面白がってくれたのでは。
「自分が感想を聞かれることなどが好きではないので、意識して聞いていません。数字でも文字でも表せない繊細な心を表現するのがアート。士別の印象が良くても悪くても、何か感じてもらえたら成功です。若い芸術家には強い刺激をたくさん受け、新しい文化を生む力にしてほしいと考えています。私もローマやパリで過ごした約15年間に受けた刺激が、今の作品に生きています。士別での感動や驚きが、芸術家の今後の作品に出てくることも考えられ、それも楽しみです」
――公開制作や体験教室で、芸術家が市民と交流する場もあります。
「自身の心を表現することで、生きている実感が得られます。芸術家は心の表現のために生きている人たちです。体験教室などで芸術家とふれあい、一般の人にも芸術が身近になってほしいです。絵でも詩でも音楽でも、他人に見せなくても自己表現の手段がある方が人生は豊かになりますから」
僕が小池さんを知ったのは、士別市立博物館に常設展示されている小池さん作品を見れたこと。その外に、1901年から続く山本菓子舗さんのお菓子の包装に使われていたこと。
----
版画制作50年(2007年開催)
北海道新聞の名寄・士別(上川北部)版、9月29日から。
【士別】版画制作50年を迎える市内の版画家・小池暢子さん(70)が10月5日から、初期作品を回顧する記念の銅版画展を市内で開く。小池さんは明るいメルヘン調の作風で知られ、初期には若い日の不安や悩みを刻む抽象作品もあり、知られざる出発点を伝える展示になりそうだ。小池さんは高知市生まれの士別育ち。パリなど海外での創作活動を経て、1986年から士別に戻って制作。毎年の日本版画協会展を中心に作品を発表し、作品はニューヨーク近代美術館などにも収蔵されている。12歳で油絵を始め、初めて版画を制作したのは女子美術大2年の57年。同年のエッチング「木の習作」を含め、記念展には、アクアチントなど69年までの小品35点を展示する。「私も、これまでの作品を整理する年齢になりました」と小池さん。初期の制作を見つめ直そうと、保管しておいた版を使い、6月から3カ月かけて新たに刷り直す作業に取り組んだ。作品は、時代の空気を反映したものが多い。グロテスクな生命体がうごめく「不安の鼓動」は60年の作品。自らデモに参加した安保闘争の挫折感が色濃い。どろりと流れる模様が画面を覆う抽象作品「都市生活」は65年の制作。「圧迫感があった時代。おろおろした感じが出ています」50年を「早かった」と振り返り、「記念展を機に初心へ戻り、今後もおろおろしながら制作していきたい」と、笑顔の中に意欲をのぞかせる。記念展は10月5日-11月4日、西1の7、小池さんの自宅兼アトリエ・絵音(えね)の館で。観覧は無料。
士別市に住む銅版画家の、初期からの作品を集めた展覧会。版画のほかにも中学生の時の習作や1960年代の油絵、スケッチブックなど、合わせて181点を展示している。1937年高知市生まれ、士別育ち。72年から85年まで欧州に滞在した。銅版画は、1つの版に多色のインクを用いて刷る「アラプペ」とよばれる珍しい技法で、懐かしさに満ちた心象風景を描き、海外でも評価が高い。例えば「ある夜の出来事」(84年)。お姫さまのようなドレスを着た少女を抱える少年、宙を舞う荷車や鳥、日輪…。「青雪の旅立ち」(95年)=写真=は、冬空に抱き合う2人の後ろで夜汽車が宙を走り、樹上に家々や鳥たちが配されて、まるで美しい童話の一場面のよう。見る者は、ユートピアの世界に誘われる。そうした題材を扱いながら通俗性が感じられないのは、画面の隅々まで揺るがせにしない構成力と、線のち密さのためだろう。描かれているモチーフは多彩だ。フランスの田園が広がる「ブルゴーニュの屋根」(77年)。花が咲き、少女がたたずむ美しい庭を描いた「初夏のテラス」(81年)。近年の連作「私の町」などは、幼少時を過ごし現在も住む士別のイメージが強まってはいるが、それは決して現実そのままの士別ではない。作者の内面で西洋と道北の風景が結び付き、混然一体となって画面に花開いているようだ。しかし、そのような郷愁と優しさに満ちた世界に至るまでには長い苦闘の時期があった。いくつもの四角形が浮かぶ暗い抽象の油彩「作品」(66年)には、安保闘争敗北などの挫折と失意が刻印されている。その後、版画に転じ、作風は明るく変化するが、その明るさは、暗い現実世界の陰画ともいえるだろう。一見無垢(むく)のようにも見える作品の奥には、ユートピアを強く希求する作者の精神が一貫して息づいているのだ。
----
身長140センチ、体重37キロの小さな体で、重い鉄の塊であるプレス機を操り、細密な銅版画を刷り上げるパワーには圧倒される。士別市在住の版画家小池暢子さんの80歳を祝う作品展が市内で開かれている。専門の銅版画だけでなく、13歳の習作からデッサン、水彩、コラージュ、油絵など127点が展示されていて圧巻である。オープニングでは1964年の東京五輪の際、国立競技場のモザイクアートの制作に現場監督として関わったことで岡本太郎氏と親交が始まったことや、14年間に及ぶパリでの制作の日々が語られた。今月14日の誕生日のトークショーでは、一般には知られていなかった小池さんの技法が紹介された。棒状の道具で複数の色を塗り分けて刷る一版多色刷りの「アラプペ技法」で、1枚の版に長い時間をかけて細かく色付けをして刷り上げる。その技法を学びたいと、世界各地から多くの版画家が小池さんの門をたたいたが、細かい仕事を根気よくこなせる日本人以外には無理だとギブアップしたということだ。色付けする明るい色が混じり合うことなく鮮やかに刷り上がることで、特有のメルヘンに満ちた世界が現出される。小池さんの作品は米国ニューヨークのメトロポリタン美術館をはじめ世界各地の美術館に収蔵、展示されている。
---
版画家 小池 暢子のしごと展(2017年5月28日(日)〜6月29日(木) a.m.9:00〜p.m.10:00)
士別市生涯学習情報センターいぶき地下市民ギャラリー
一版多色刷り、銅版を酸で腐食し、それぞれの場所にそれぞれの色を置く。インクを拭き取り、イメージにあった多色版画の出来上がり。インクの空ムラがないよう、エディションはほぼ同じ状態で刷り上がる。
一色多色刷りの銅版画、初期の油彩、水彩画、コラージュ、なども展示され、小池暢子の世界が一望出来る。
少女と自然と動物と、メルヘンに溢れ士別の牧歌的な風景が蘇る。制作と併せ、日本版画協会の移動展やアートレジデンスなど、多岐にわたる活動もある。新聞からの情報、久し振りに小池暢子の世界に浸る至福のひと時。
---
高知市に生まれ、戦時中の4歳で士別に移住。初めて雪を見たとき、「お母様、お空からお砂糖が降っています!」とザルを持ってはしゃいだ麗しい思い出が。士別市 小池暢子さん(81)。35歳から1年をローマで過ごし、その後14年間、パリで銅版画の制作に集中した小池さんの作品は、幻想的な空気感の中に芯の強さを秘めています。東京の美大で学び、東京五輪で国立競技場のモザイクアート制作に関わったことで、あの岡本太郎さんとの交流が始まりました。「日本を、自分を知るために、海外に出てみるといい」と岡本さんに勧められヨーロッパへ。パリで確立した技法は、一つの版にすべての色を乗せて刷り上げる独特なもので、繊細なエッチングの跡と意図せず交じり合うインクが微妙なニュアンスを生み出します。50歳で士別に戻り、ギャラリー「絵音(えね)の館」をオープン。絵を描く以外の仕事を考えたことすらないと言う小池さん。今も創作活動を続けています。
---
人を育む―けんぶち絵本の里。清水幸喜。
●田園風景の町。剣淵町は人口4600人、北海道北部の旭川から北に45キロに位置し、東西は低い丘を形成し、中央部には平地が広がる田園風景豊かな純農村の町です。町の総世帯数1400戸のうち農家は550戸で、36%が専業農家です。農作物は、水稲や小麦、馬鈴薯、豆類を中心とし、近年では、軟白ねぎや食用ゆり根、にんじんなど野菜類の生産にも力を入れ、道内でも指折りの産地となっています。しかし一方では、年々過疎化と高齢化が進んでいます。このような町で「絵本の里・けんぶち」が生まれたのは、今から8年前(昭和63年)のことです。
●きっかけ。商工会青年部が隣町の士別市に住むパリ帰りの版画家の小池暢子さんを呼んで講演会を開催したとき、面白い話を聞きました。東京の絵本出版社の編集長(現・作家)をしている人が北海道に移住したいと言っているというのです。早速その人に剣淵を見てもらうことにしました。まだ雪が残る3月に町内を案内すると「この町はステキな町だね、南フランスの田園風景とそっくりだね」と言われました。案内した人たちが、「年々人口が減ってさみしいんだわ」と言うと「このような町なら絵本原画をみんなに見てもらう原画美術館を建てたらたくさんの人が訪れて、町が活気づくのでは」という発想に、早速、農業や商業、勤め人のオジサンたちが町長室におしかけ、「絵本で町おこしをしたいので、協力してほしい」と申し入れをしました。大の大人が「絵本、絵本」と言うものですから町長としても返答に苦慮しましたが、有為で誠実な町民の申し入れであり、協力を約束しました。こうして絵本には疎い30、40代のオジサン青年たちによる絵本の里づくりが始まったのです。昭和63年6月、民間主導による「けんぶち絵本の里を創ろう会」が発足しました。会員は農業や商業をはじめ農協・役場の職員、施設職員、副住職、主婦などで構成されています。
●追い風となった1億円。会が設立された翌年、「ふるさと創生資金」として国から1億円がおりてきました。会の人たちは、ぜひ絵本の里に使わせてほしいと頼みましたが、審議会では「農業情勢の厳しい時に、なんで絵本の里に使わなければならないんだ。絵本で飯が喰えるのか」と言われました。また「文化的なことは大きな町に任せて、うちのような町は、農業にお金をかけるべきだ」との意見が多く出ました。会としては、「せっかくのふるさと創生なんだからよその町と違う目玉に使うべきでないか」と熱意を訴えました。町の理事者の決断により、半分の5000万円を絵本の里に使うことになりました。町はそれで旧役場庁舎を改修して「絵本の館」とし、1万冊の絵本や絵本原画を購入するなど活動の拠点となる「館」の整備充実を図りました。現在絵本の館では、1万6000冊の絵本を所蔵しており、町内外問わず貸出しされ、土・日などは、近隣の町からも絵本を借りに来ています。読めるだけ借りて読み終わったら返すという独自の方式をとっています。
●日本のボローニャに。活動に携わる人たちの輪も広がり、高校生や高齢者、知的障害者施設の園生などがボランティアで参加しています。活動では、「絵本の里大賞」「絵本原画展」「絵本まつり」「木のおもちゃ展」「土曜お話会」「絵本の里セミナー」などが開催されています。特に、毎年8月に行われる「けんぶち絵本の里大賞」は、作家や出版社から応募のあった前1年間の新刊絵本のなかから、来館者の投票によって大賞を決めるというもので、このような選定方法は国内でも例がありません。入賞した作品の作家を招いて表彰式や町民との歓迎交流会を開催し、人的な交流も広げています。まさしくけんぶちを“日本のボローニャ”にしたいと願っています。
●施設は人なり。さて、私たちの町には、二つの知的障害者の施設があります。更生施設の「西原学園」と授産施設の「北の杜舎」です。いずれの施設も地域と溶け込んでおり、園生はじめ職員の方々が絵本の里などのまちづくりとかかわりをもっています。8月に行う絵本の里大賞や原画展の準備は大変な作業ですが、パネルや原画を運んだり、飾り付けをしたり会員と一緒になって汗を流しています。みんな顔なじみです。「地域に開かれた福祉」とは、このようなことをいうのだろうと思っています。また、両施設では地場資源である「剣淵粘土」を活用し、窯業に取り組んでいます。湯呑み、コーヒーカップ、皿、花瓶などは「けんぶち焼」として町内外で販売されています。焼き物と一緒に町の名前もPRされています。ある時、けんぶち焼の取材でテレビ局の人と一緒に施設を訪ねました。取材では、園生が粘土をこねたり、皿をつくっているところや窯出しの様子がカメラにおさめられていました。20分程で撮影が終わり、局の方が「これで終了しました」と職員のK指導員に話したところ「実は、カメラで撮ってほしい人がいるんです。放映されなくても構いませんので、どうかお願いします」と頼みました。カメラマンは、快くK指導員の申し出を了承してくれました。「それでは、T子さんいつもの作業を始めてください」と、K指導員は一人の少女に声をかけました。T子さんは、いつも担当している型枠機械での大皿作りに取りかかりました。カメラが回りました。後でK指導員と話をしたときに、その日はT子さんの作業の予定はなかったとのこと。しかし、なんとか自分もみんなと一緒に映りたいという様子を、K指導員は感じとっていたのです。私は、放送が楽しみでした。あのT子さんが映るのかどうか……。放映のラストシーンの中で、その少女の顔がいきいきと画面いっぱいに映し出されました。K指導員の一言が少女に喜びを与えたこと、さらに一人ひとりの園生を指導員がきちんと見ていたことに感動しました。まさに「施設は人なり」です。絵本の里づくりもこうした人たちによってつくられています。
●家族が変わる。保育所の園長さんは、こう話しています。「絵本の里が始まって、何が変わったかと言うと一番変わったのは“家族”ですね。保育所では館ができる前から絵本文庫といって年中、年長の子の課程に絵本を貸しているんです。近ごろは、その感想ノートを見るとお父さんやおじいちゃんも読み聞かせをするようになってきたんですね。農家のお父さんがおみやげに絵本を買ってきたり。これは最近の変化だと思います」物質・経済偏重の時代が過ぎ、真の豊かさを求める人々が増えています。剣淵町は、「絵本」というテーマを通して子どもや家族のこと、教育を考えながら福祉、文化、産業と調和した人間性豊かなふるさとづくりを目指しています。(しみずこうき 北海道剣淵町企画開発課)
---
北海道最北端最終の開拓屯田兵移住地として兵舎100戸が入地してから、あと2年で100年を迎える私のまち士別市は、いま、時代の大きな節目として、開拓の鍬を下ろした時代の「耕す」から「興す」運動に、まちぐるみで真剣に取り組み始めた。行政と住民との歩み寄りはそう簡単に接点は求められないが、今までの関係では、まちは衰退すると孝えたからだ。このまちは、とりたてて後世に伝える文化や、屯田兵舎一戸以外に歴史的建造物もなく、「耕」を中心にささやかに栄えた田園の小都市である。しかし、激動の今世紀末には離農者が増え、若者が徐々に姿を消し、高齢者と農地が置き去られるのだろう。これに類した問題は、日本列島各地で見られる現象である。歴史や規模に多少の違いはあるにせよ、町村を存続させるために行政は住民不在の裏工作に振り回されているように見える。最近、得体の知れない狂気ざたの大事件が続発しているが、これらも戦後の官僚国家体制と中央集権・組織社会と大都市集中の体質の裏側で引き起こされた事件だ。日本という国から膿汁が流れ出し、国民もただごとならぬ事態に気づき始めた。そんな一方で、全道のローカル地域に近年変化が現れてきた。写真や漫画、音楽、陶芸等々の広義的な意味での文化の香りを漂わす、まちづくりである。また、本州各地から脱サラと称する人や自由人と名のる移住人の定着も見逃せない。彼らとまちづくりとが直接関係あるか否かは定かではないが、まったく無縁とも思われない。8年前だが、士別市の隣町、剣淵町で「絵本のまち興し」をしたのは、2人の自由人、ヨーロッパ帰りのUターンの私と東京からIターンした他町の松居友氏の出会い、そして、まちの若者たちの熱意から生まれたものだ。いま、想い返せば、小規模の町だから可能であったと自負している。つまり、量から質に転換すれば良いのだ。当地方は冬が長く、厳しい自然環境だから、ここから生まれてくるものには一段と暖かさや優しさが秘められている。大らかで、ゆったりと、シンプルな環境の中で、もっとも素直に自然と向かい合う、そこに、高質で密度性のある文化のまち興しができる土壌があると思っている。
---
岩手温泉施設で初、山王山温泉瑞泉郷で日中版画家二人展を開催
2018年に日中平和友好条約締結40周年を迎えたことから日中友好記念事業として中国を代表する版画家の「黄三才氏」と1964年東京オリンピック国立競技場の壁画制作にも中心的な立場で携わった北海道士別市在住の版画家「小池暢子氏」の版画を瑞泉郷(電話番号:0191-39-2031)宿泊棟である「ともえ亭」を中心に約30枚の版画展示会を企画しました。展示会は8月8日より12月末まで開催することを予定しています。
岩手県はもとより日本国内の温泉旅館でも、これだけ多くの黄三才氏、小池暢子氏の作品を展示するのは初めてであり宿泊されているお客様も日中を代表する二大版画家の作品を足を止めて鑑賞していただくことになります。
---
小池暢子銅版画展。 国際展でも活躍する銅版画家。一版多色刷りという、めずらしい技法を駆使します。札幌での個展は7年ぶりだそうです。個人的な話で恐縮ですが、筆者は1995年から96年にかけての冬に、士別にある小池さんのアトリエを取材で訪れたことがあります。大雪で列車が遅れたのもなつかしい思い出です。そのとき、旧作も拝見したのですが、油彩の暗い画面が現実と作者との疎隔感のようなものを浮き彫りにしていたような記憶があります。したがって、いまの小池さんの版画の世界は、一見すると現実離れした童話の世界のように見受けられますが、作品のずっと底のほうに、現実世界も美しくあれという作者のねがいが折り畳まれているように思えるのです。筆者だけかなあ。それにしても、ため息の出る美しさです。ふつうのエッチングであれば、単色の線が、途中でさまざまに変化していくのです。微妙な色調を、デジタルカメラでとらえきれているかどうか、ちょっと自信がありません。右の写真の、いちばん手前にうつっているのは「雪冠の花束」。冬の森。大きな黒い幹に、プレゼントのようなリボンが掛けられています。枝の尖端のほうには、さまざまな夢が開いています。「白の楽章」「残秋の光に向って」「冬眠の隙間に」など、いずれも北海道(とくに北部)の風土をベースにしながら、メルヘンの要素をくわえ、まるで子どもの時に見た夢をふいに思い出したような幸福感におそわれるのです。これほど会場を立ち去りがたい気持ちにさせられた展覧会もひさしぶりでした。小池さんは日本版画協会会員。
---
ようするに、道立旭川美術館の所蔵品展に、旭川市教委などから借りた若干の点数をプラスアルファした展覧会です。しかしまあ、単に「所蔵品展」と銘打っても、たぶんお客さんは来ないと思うから、いろいろ手を変え品を変え、展覧会を組織することは、悪くないことだと思います。ただ、そういった制約があるため、旭川ゆかりのすべての物故画家がおさめられているとはいえないようでして、ぱっと思いつくだけでも、かの中原悌二郎の作品はありませんし、旭川高女で学んだ丸木俊も見当たりません。また、たとえば上野山清貢(1889-1960)などは、彼の代表作といえるような戦前の作品は、近代美術館にあるため、今回は並んでいません。その反面、難波田龍起(1905-97)は、たった5点で彼の全貌を通観できるような、絶妙の選択がなされているといってよいのではないでしょうか。ここでは、いくつかの出品者について、筆者に新鮮に感じられたことを記したいと思います。これは、裏を返せば、筆者がどのあたりに、とくに不勉強であったのか、恥をさらすようなものですが。まず、日本画家の小浜亀角(1899-1985)。筆者は初めて見ましたが、東京美術学校卒、院展院友といった肩書きをさしおいても、おもしろい画家だと思いました。「海嘯による枯林」は、題名からしてなぞめいた感じがしますが、まっすぐにそそり立つ木々、枝から垂れ下がる緑のサルオガセ? といったモティーフは、どこか人間絶滅後の地球のような、不気味な静けさをたたえているようです。よく見ると、右下につがいのタンチョウが小さく描かれており、これは希望を表しているかのようです。また「雪渓」は、題名の通り、雪に半ば覆われた高山を描いたものです。上部5分の1くらいで、スパーンと画面を左右に横切る線、そこから斜めに勢いよく滑り落ちてくる谷。ダイナミックな、思い切った構図が、快感です。いずれの作品も、自然はあくまで材料で、シンプルかつダイナミズムのある構図を得ることに、作者の関心は向いているようです。これは自戒を込めていうのですが、日本画家の場合、道展に所属せず、札幌住まいでもない場合、どうしても筆者のフィルターからこぼれ落ちてしまいがちです。力量を持った作家は、どこかできちんと歴史に位置付けなくてはならないということを、痛切に感じます。佐藤進(1914-92)は、この展覧会で、高橋北修(1898-1978)に次いで2番目に多い10点の水彩が展示されています。これは、ほかのだれよりも旭川の町を題材に絵筆を執ったという要因が、大きく反映しているのでしょう。今回の入場券にも使われた「廃屋」は、窓が破れて荒れ果てた旧偕行社が題材です。それが「新緑の頃」では、市の彫刻美術館として蘇った姿が描かれています。このように彼くらい、旭川の町をじっくりみつめてきた画家はいないと言っていいのかもしれません。そもそも、函館や小樽の陰に隠れてほとんど知られていませんが、旭川の町並みというのは、かなり美しいものだと筆者は思っています。古い建物も、札幌なんかに比べるとはるかによく残っています。宮下通りや旭町、大町といったあたりは、なかなか散策のしがいがありそうです。で、気になったのは「鳥ぐもり」と題されたふたつの作品です。片方は、横長の作品で、晩冬らしく、半ば雪に覆われた住宅地の風景。
もう片方は、縦長で、春先とおぼしき住宅地の風景。よく見たら、どうやら同じ場所から見た風景のようです。家の形などが、ぴったり一致するのです。明度の差を少なくして、暗い影をつくらない佐藤進独特の画風が、曇り空のやや眠たげな、平凡な風景にぴったりマッチしています。ただ、右側の家の三角屋根が、横長の作品では、紫色をしたひし形のトタン屋根なのに、縦長では水色の細長いトタンに変わっています。この家はかなり古い木造で、屋根だけを葺き替えるということはなさそうに思えます。風景を写生しただけのように見えて、やはり、絵としての完成度を求めて屋根の色調を変えていたのでしょう。さて、彼が選んだのは、ほかの画家なら見向きもしないであろう凡庸な住宅街の一角です。しかし、凡庸も、突き詰めて描くと、ある種の典型に転じるのだと思います。筆者は、「丘」という作品に強い感銘をおぼえました。それは、何の変哲もない、原野と疎林の中間のような一帯を描いたものです。北海道を列車で旅したことのある人なら車窓から飽きるほど見たことがあるような、おそろしく平凡な景色です。そこには、とくべつ高い木とか、目立つ花とか、人目をひく山といったものは何ひとつありません。にもかかわらず、その景色は、はなはだしい平凡さのゆえに、わたしたち北海道人にとって一種の原風景たりえているのです。菅原弘記(1934-98)、村山陽一(1926-61)、山口正城(1903-59)の抽象画については、1997年に同館で開かれた「北海道の抽象美術」展で、たっぷり見たので、ここでは省略します。そういえば「北海道の抽象美術」も、実態はほとんど所蔵品展に近いものでありながら、好企画の展覧会に組織されていたのを思い出します。最後に、ぜひ道立旭川美術館にお願いしておきたいことがあります。旭川美術館は、道立であり、道北全体をカバーすべき館であることはいうまでもありません。機会を見て、旭川以外の道北の作家たちの展覧会を開いてほしいのです。物故作家は、筆者もよく知りません。留萌出身の版画家阿部貞夫や、上川北部の美術振興に尽くしたのち横浜在住の全道展会員として活躍した田辺謙輔くらいしか思いつきません。ただし、健在の作家も含めると、天塩出身の上野憲男、士別在住の小池暢子らがいます。ぜひお願いします。
タイトル
作品集構想~起承転結~
~起~
「お母様、お空からお砂糖が降っています!」
これは、高知県高知市から4歳で北海道士別市に移住し、初めて冬の雪を見た少女の感性である。
冬。
この地域は、冬の季節が長い。マイナス30度。厳しい自然環境だからこそ、ここから生まれてくるものには一段と暖かさや優しさが秘められている。
※冬の作品を掲載。
作品集構想~起承転結~
~承~
「日本を、自分を知るために、海外に出てみるといい」
1961年東京の女子美術大学芸術学部を卒業。都内の中学校で美術教師として働き、近代モザイク製作所指導主任として勤務。
転機は突然に訪れる。
1964年東京五輪で国立競技場のモザイクアート制作に関わるなかで、「海外」へ修行の旅に出る。
欧州。
岡本太郎氏から海外へ挑戦してみると言われ、1970年はイタリアはローマへ。そして、1972年渡仏。以来、1986年までパリに滞在し、美術鑑賞の日々。
私の絵、私の作品を追及する。
ついに、独自技法を完成させる。
アラプぺ技法。
※コレクション作品や受賞作品を掲載。
作品集構想~起承転結~
~転~
「私の町」「私のアトリエ」
1986年から現在まで北海道士別市に在住。
1989年に私設美術館「絵音の館」をオープン。
以来、2020年まで作品を毎年、制作し続ける。
総作品数:600。
(大作を仕上げるには、50日間ほど費やす。)
北海道。
雄大な自然。四季折々の美しさ。
生きとし、生けるもの。
作品のテーマは、
「愛、平和、自然」。
言葉では、伝えられない繊細な感性を
一枚の絵色にのせて。
見るものを圧倒させる世界観。
※小池暢子と士別との関わりある作品掲載。
作品集構想~起承転結~
~結~
戦前、戦後。
昭和、平成、令和。
世の中では様々な出来事がある。
最後と最初。
喜怒哀楽の作品。
個展に展示した作品。
想い出の作品。
自身の写真。
※小池暢子の作品新旧対称で掲載。
タイトル
1937年高知県高知市に生まれる。1961年女子美術大学卒業
1971年イタリア美術研修(ローマ滞在)1972~86年 パリ在住
現在:日本美術家連盟会員、日本版画協会会員、国際美術審議会会員。
<展示会等>
1968~68 女流画家協会展(東京)、1962~68「独立美術協会展(東京)、1965~現在 日本版画協会展(東京)、1969年 日米合同現代版画展(ニューヨーク)、1970~86「CWAJ現代版画展(東京・オーストラリア・ニューヨーク)、1970~71「版画グランプリ展(東京)、1976年「カンヌ国際版画ピエンナーレ」(フランス)、1976年「グレンヒェン国際版画ビエンナーレ」(スイス)、1977年「シャトーマラプリ・フェスティバル」(フランス)、1978年「パリ在住現代作家展」(フランス)、1980年「日本版画協会メキシコ展」(メキシコ)、1985年「カリフォルニア国際現代版画展」(アメリカ)、1986年「カンピーナス国際現代版画展(ブラジル)、1988年「ハンガリー文化交流日本現代展(ハンガリー)、1988年ワルシャワ招待個展(ポーランド)、1989年「ニュージーランド国際日本版画展」(ニュージーランド)、1989年「マルタ日本現代展」(マルタ)、1989年カンヌ国際芸術展受賞(フランス)、1989年日本現代版画フェスティバル(ニューヨーク)、1990年「オーストラリア国際日本版画展(オーストラリア)、1990年ウィーン日本美術展(オーストリア)、1991年イタリア国際日本版画展(イタリア)、1991年ギリシャ国際日本版画展(ギリシャ)
1991年日本版画協会メキシコ版画交換展(メキシコ)、1992年「国際日本版画北欧展(アイルランド・ノルウェー・アイスランド・スウェーデン・フィンランド展TIE賞)、1992年「国際日本版画ブラジル巡回展(ブラジル)、1992年「シンセン市招待個展(中国)、1992年「トルコ国際日本版画展(トルコ)、1993年「デンマーク国際日本版画展(デンマーク)、1993年「日本選抜色紙展ディーンレバン市名誉市民賞(府ランド)
1993年ルクセンブルク国際日本版画展(ルクセンブルク)、1994年「フランス大賞展「3位」フランス
1994年「エジプト国際日本版画展(エジプト)、1994年「日本・台湾版画学会展(台湾)
1994年「アジア美術交流招待展(香港・北京)、1995年「8/15第3回国際平和美術展(東京芸術劇場)
1995年「現代作家蔵書票展(東京三越)、1995年「NHK厚生福祉チャリティー展(東京和光)
1996年「日本現代版画百選 スロベニア展(スロベニア)、1996年「小池暢子の世界展(北海道剣淵町)
1997年「国際蔵書票招待展(中国)、1998年「第2回東京国際ミニプリントトリエンナーレ展(東京)
1998年「日本美術展'98(フィジー共和国)、1998年「アジア蔵書票招待展(中国)、1998年「小池暢子作品展(東京)、1999年「中日版画交流展(中国)、1999年「士別神社開基百年記念碑レリーフ作製、1999年「香港蔵書票招待展(香港)。
※1961年~99 個展(日本・フランス・ポーランド・中国・他123回開催)
2000年 ミレニアムグラフィカ2000年国際版画展IN横浜(4月)
2000年 ミレニアムアートジャパン2000オランダ展(オランダ)6月
2002年 第3回東京国際ミニプリントトリエンナーレ展(東京)
タイトル
<コレクション>
ニューヨーク近代美術館、カリフォルニア大学図書館、パリ国立図書館、
ジャーニー国立博物館(ハンガリー)、ウエストバック・アーツセンター(メルボルン)
ポーランド大使館、アイルランド日本大使館、何香疑美術館(中国)、シンセン大学(中国)
中国広東省日本大使館(中国)、国立国際美術館(大阪)、大分県立美術館
<出版物>
版画オリジナル集「開かれたパリの窓から」(NDA画廊札幌)
絵本「いちばんはじめのクリスマス」(ベネッセ)」
<非公開情報>
≪東京国立競技場回廊の壁画≫
①岡本太郎、②寺田竹雄、③宮本三郎、④大沢昌助、⑤脇田 和
5名の作家が原画を描き、その原画を元にモザイク制作の壁画を指導する。
≪1963年~1969年までの壁画(モザイクの主なもの)≫
①後楽園、②名古屋カゴメビル、③ホテルオークラ、④九州玄海ゴルフ常、⑤伊豆長岡ホテル、⑥羽田空港特別ロビー、⑦多摩動物園、⑧伊藤観光会館、⑨長崎造船、⑩箱根メキシコ造船、⑪叔母尻管内藻琴小学校、
原画:北川民次。
⑫相模原カルピス工場(岡本太郎)、⑬京都緊楽(水野肇)、⑭青山、産能病院(赤塚秀夫)、⑮神戸のぎく学園(中西勝)、⑯瀬戸市民会館(北川民次)、⑰後楽園スチームバス(岡本太郎)、⑱大森八景坂マンション(寺田竹雄)、⑲名古屋ビル(カゴメ)(北川民次)、⑳明石児童相談所(浅井潔)、㉑東京盟友学園(石川茂)、㉒熱海つるやホテル、㉓横浜銀行藤沢支店(寺田武雄)、㉔兵庫宝塚高校(おさむけん)、㉕池袋喫茶店蔵王(小池暢子)、㉖神戸職合婦人会館(くにが)、㉗神戸新聞会館(岡田)
≪訪問国≫
1968年:①タイ、②カンボジア
1971年:①ギリシア、②イタリア(ローマ在住)
1972~86年⑤フランス在住
1973年:⑥スイス、⑦スペイン
1974年:⑧イギリス
1975年:⑨ポルトガル
1978年:⑩モロッコ、⑪アルジェリア
1980年:⑫モナコ
1984年:⑬イスラエル(絵本 クリスマスの取材)、⑭ヨルダン、⑮エジプト
1985年:⑯アンドラ王国
1988年:ポーランド
1989年:トンガ
1990年:オーストラリア
1992年:アイルランド、ノルウェイ、フィンランド、アイスランド
1993年:デンマーク、中国、
<非公開:随筆>
《2020年》士別アーティストレジデンス会長、10月絵音の館閉館
《2019年82歳》日本版画協会士別30周年展、幌加内町の政和フェスに作品35点貸し出す。
《2018年81歳》ライナーネットワーク(旭川)の「ご長寿万歳」に掲載
徳島県 相生森林美術館(年賀状を題材)徳島新聞に掲載。
士別アーティストレジデンス開催。
《2017年80歳》小池暢子80周年記念展(生涯学習センター)
毎日新聞の「守ってこそレガシー」のタイトルで国立競技場のモザイク壁画を指導したことが現場写真とともに掲載。
《2016年79歳》歌劇ドンジョバニーニ公演のためのポスターデザイン制作(北海道新聞からの依頼)
《2014年77歳》士別建築文化遺産の打診があった。
HBC北海道テレビ「今日ドキッ」の番組取材。
《2005年68歳》母の死(享年92歳)
レジョ・エミリア児童教育視察に招待される(イタリアミラノ)
エコマテリアル株式会社カレンダーに6点作品を掲載される
《2003年》天塩川清流苑建設。大野建設が作品12点購入。
①華やぐ星に息吹きを(2000年)、②紅い追憶の小径(2002年)」
《2000》世界芸術家辞典に<雪冠の花束>が掲載。
ミレニアムグラフィカ横浜<氷柱に翔く>神奈川県民ホール
オランダ展に出品<青雪の旅たち>
《1999年(62歳)》士別の四季の画が完成。
《1998年》名寄・喜信堂包装紙のデザインと菓子のパッケージを制作
士別神社(士別100周年記念)のレリーフをデザインする。
第2回東京国際ミニプリント トリエンナーレ98展
出品作<樹氷の華><残雪の春>入選。展示後多摩美術大学美術館に収蔵。
<1997年>現代の絵画集Vol.3(朝日アーティスト出版)雪冠の花束掲載。
<1996年>カムイミンタラ75号に随想投稿。耕すから起こすKKりんゆう観光
士別・山本菓子店の包装紙のデザイン
アートグラフ(月刊美術誌)に北海道代表として(羊飼いの笛)が掲載。
現代の絵画集Vol.2(朝日アーティスト出版)青雪の旅たち掲載。
<1994年>アートクラブ94年展<木枯らしのでてくる季節>アートクラブ大賞受賞。
日仏芸術文化推進委員会より特別認定作家の認定証が届く
<1992年>士別の大野裕一郎氏から「小池暢子の捜索を支える会」を発足したと連絡がある。
北欧5か国版画展<フクロウの森>出品
<1991年> イタリア国際日本版画展招待展 <私の町ー赤い実>出品。ローマ日本文化会館
絵本の館会館
<1990年>フランスカンヌ国際芸術展奨励賞受賞<ある夜の出来事>
士別市文化賞受賞
<1989年>士別市立病院新築祝いとして作品<羊飼いの笛>を寄贈
<1987年>カンビナス国際版画展 ブラジルサンパウロ<羊飼いのj笛><朝またぎ>出典。
<1986年>絵音の館オープン
<1985年>大分近代美術館に作品収蔵<冬の家><梟の森>
<1981年>パリ国立図書館収蔵<初夏のテラス>
<1975年>パリ国立図書館<春は呼んでいる><最後のの庭>
最※1974年7月から1975年5月まで一時帰国(父の死67歳)
1969年近代モザイク研究所退職。12年ぶりに士別市に帰省。
1964年 中学校教師退職し、近代モザイク研究所指導主任
1962年豊島区立第十中学校勤務
1957年上京し、女子美術大学芸術学部洋画科に入学。
1937年高知市で生まれる。1941年北海道上川郡士別町に移住。1944年士別小学校入学。ピアノ、油絵を根習い始める。
1952年札幌に移転。啓明中学、札幌藤高校卒業。
1937年高知県高知市に生まれる。1961年女子美術大学卒業
1971年イタリア美術研修(ローマ滞在)1972~86年 パリ在住
現在:日本美術家連盟会員、日本版画協会会員、国際美術審議会会員。
<展示会等>
1968~68 女流画家協会展(東京)、1962~68「独立美術協会展(東京)、1965~現在 日本版画協会展(東京)、1969年 日米合同現代版画展(ニューヨーク)、1970~86「CWAJ現代版画展(東京・オーストラリア・ニューヨーク)、1970~71「版画グランプリ展(東京)、1976年「カンヌ国際版画ピエンナーレ」(フランス)、1976年「グレンヒェン国際版画ビエンナーレ」(スイス)、1977年「シャトーマラプリ・フェスティバル」(フランス)、1978年「パリ在住現代作家展」(フランス)、1980年「日本版画協会メキシコ展」(メキシコ)、1985年「カリフォルニア国際現代版画展」(アメリカ)、1986年「カンピーナス国際現代版画展(ブラジル)、1988年「ハンガリー文化交流日本現代展(ハンガリー)、1988年ワルシャワ招待個展(ポーランド)、1989年「ニュージーランド国際日本版画展」(ニュージーランド)、1989年「マルタ日本現代展」(マルタ)、1989年カンヌ国際芸術展受賞(フランス)、1989年日本現代版画フェスティバル(ニューヨーク)、1990年「オーストラリア国際日本版画展(オーストラリア)、1990年ウィーン日本美術展(オーストリア)、1991年イタリア国際日本版画展(イタリア)、1991年ギリシャ国際日本版画展(ギリシャ)
1991年日本版画協会メキシコ版画交換展(メキシコ)、1992年「国際日本版画北欧展(アイルランド・ノルウェー・アイスランド・スウェーデン・フィンランド展TIE賞)、1992年「国際日本版画ブラジル巡回展(ブラジル)、1992年「シンセン市招待個展(中国)、1992年「トルコ国際日本版画展(トルコ)、1993年「デンマーク国際日本版画展(デンマーク)、1993年「日本選抜色紙展ディーンレバン市名誉市民賞(府ランド)
1993年ルクセンブルク国際日本版画展(ルクセンブルク)、1994年「フランス大賞展「3位」フランス
1994年「エジプト国際日本版画展(エジプト)、1994年「日本・台湾版画学会展(台湾)
1994年「アジア美術交流招待展(香港・北京)、1995年「8/15第3回国際平和美術展(東京芸術劇場)
1995年「現代作家蔵書票展(東京三越)、1995年「NHK厚生福祉チャリティー展(東京和光)
1996年「日本現代版画百選 スロベニア展(スロベニア)、1996年「小池暢子の世界展(北海道剣淵町)
1997年「国際蔵書票招待展(中国)、1998年「第2回東京国際ミニプリントトリエンナーレ展(東京)
1998年「日本美術展'98(フィジー共和国)、1998年「アジア蔵書票招待展(中国)、1998年「小池暢子作品展(東京)、1999年「中日版画交流展(中国)、1999年「士別神社開基百年記念碑レリーフ作製、1999年「香港蔵書票招待展(香港)。
※1961年~99 個展(日本・フランス・ポーランド・中国・他123回開催)
2000年 ミレニアムグラフィカ2000年国際版画展IN横浜(4月)
2000年 ミレニアムアートジャパン2000オランダ展(オランダ)6月
2002年 第3回東京国際ミニプリントトリエンナーレ展(東京)
タイトル
作品集
出典:北海道旭川新聞社
ヒューマン 小池暢子
絵本「いちばんはじめのクリスマス」
士別を故郷に持つ画家 小池 暢子画伯の『神輿が飛ぶ』
作品収蔵先一覧:ニューヨーク近代美術館、
独立行政法人国立美術館(1977年潮)
絵本の里・けんぶち構想の運営協力人。
ウエブマガジンカムイミンタラ。北海道の風土・文化誌。1996年07月号/第75号 [ずいそう] 「耕す」から「興す」へ小池 暢子 (こいけ のぶこ ・ 版画家)
日本版画協会FBページ。
北海道は道北・士別市の新たな価値と魅力を芸術という視点によって見出すこと、またそうした人材を地域において育成することを主眼としている「しべつアーティスト・イン・レジデンス事業」。当協会では士別市在住の会員・小池暢子氏や士別ふるさと大使である小林敬生氏とのご縁もあり、本事業に携わらせていただいています。「士別の四季」をテーマとし、2016年度「冬」2017年度「秋」2018年度「夏」と実施してきました。
2019年度は、四つ目となる季節「春」です。
今回の滞在での公開制作の様子を一部紹介します。
しべつアーティスト・イン・レジデンス事業FBページ
https://www.facebook.com/shibetsu.art/
購入先:小竹美術 版画
小池 暢子(コイケ ノブコ) 坂道
日本版画協会会員・絵本作家としても活躍。1937年、高知県生まれ。高知市生まれの士別育ち。女子美術大(東京)卒。パリなど海外での創作活動を経て、1986年から士別に戻って制作。毎年の日本版画協会展を中心に作品を発表し、作品はニューヨーク近代美術館などにも収蔵。
◆剣淵町にある『絵本の館』に作品収蔵。
◆カンヌ国際芸術展で奨励賞、アイスランド国際日本版画展でTIE賞、士別市文化賞、フランス国際美術大賞展で3位、アートクラブ大賞。
<この作品について>
技法:銅版画。詳細サイズ:縦29.5×横14.7cm
額縁寸法:縦52.5×横41cm。状態:良好
備考限定番号(ed,14/80)、1980年作 価格:19,800円
【作品名】遠くに行かないで(12)
【技 法】1版多色刷り銅版画
【サイズ】イメージサイズ30.0×19.5
【E D】16/70
【作品の特徴】
①銅版画
②一版多色刷り(仏語でアラプぺ技法という)
③鋼板にニスを塗りニードル(針)で絵を描き、ニスのとれたところを液体の薬品で腐食させていく。
④大作を仕上げるには、50日間ほど費やす。
したがって、大、中、小の作品を制作しようとしても年間4~5点ほどしかできない。
【作品名】水辺(12)
【技 法】1版多色刷り銅版画
【サイズ】イメージサイズ30.0×19.5
【E D】23/50
【作品名】月夜の出会い(147)
【技 法】1版多色刷り銅版画
【サイズ】イメージサイズ35.5×19.5
【E D】17/70
【作品名】カルカソンヌの旅(147)
【技 法】1版多色刷り銅版画
【サイズ】イメージサイズ29.5×24.5
【E D】12/50
【作品名】11月の木(147)
【技 法】1版多色刷り銅版画
【サイズ】イメージサイズ42.5×20.0
【E D】13/30
【作品名】まだ浅い春(125)
【技 法】1版多色刷り銅版画
【サイズ】イメージサイズ24.5×30.0
【E D】23/50
【作品名】霧が晴れて(125)
【技 法】1版多色刷り銅版画
【サイズ】イメージサイズ30.0×34.5
【E D】4/50
【作品名】街にやってきた冬将軍(169)
【技 法】1版多色刷り銅版画
【サイズ】イメージサイズ30.0×23.5
【E D】20/50
つくしんぼ
(起)
士別市で生まれた新しい大豆(つくも4号)の新商品が続々と登場している。
粒が大きくて、旨みのぎっしり詰まった全国的に希少な茶色い大豆で、平成31年2月12日に農林水産省より種苗法に係る品種登録がされ、士別市初の新品種の誕生となった大豆のことです。
(承)
つくも4号は、士別市農業応援アドバイザーで拓殖道短大名誉教授でもある三分(さんぶ)一(いち)敬(たかし)氏が、平成16年に極大粒黒大豆「いわいくろ」を父、極大粒黄色大豆「ツルムスメ」を母として交配を行い、その交雑後代から茶豆極大粒良食味品種育成を目標として選抜、育成を進めてきた系統で、
その特徴としては、「つくも4号」は、成熟期が早く耐寒性があり、士別市のような寒冷地でも収量・品質が保たれることから、適性品種であること、また全国的にも希少な茶色い大豆で、大きさは約10㍉(通常の大豆は7㍉程度)と非常に大粒で、甘味が強く、味の濃厚さが特徴となっております。
そのほかに、北海道士別市が平成31年3月20日付け一般社団法人日本食品分析センターの「つくも4号」成分分析結果では、大豆イソフラボン含有量が多い特徴があったようです。
(転)
いま、このつくも4号を活かした商品づくりを行おうと、令和4年6月につくも4号特産品研究会「(愛称)つくしんぼ」が結成され、さらに令和4年10月には、つくも4号の名称を全国公募し、「こはく丸・こはく姫」という愛称が名づけられました。いま、現在の士別大豆由来の商品は、①豆腐、②豆大福、③ケーキ、④きなこ、⑤甘納豆などが各事業者から販売されている。
<事業者紹介>
①つくも4号のもめん豆腐 日の出食品株式会社(北海道士別市)
www10.plala.or.jp/hinode/
つくも4号のもめん豆腐をはじめ、サフォークラーメンの乾麺や、そば・うどんの麺をつくっている市内唯一の会社です。ふるさと納税はこちらから。
②つくも4号のシフォンケーキ ふぁーむあるむ(北海道士別市)
北海道士別市のふるさと納税はこちらから。
③つくも4号の塩大福 北の菓子工房 もり屋(北海道士別市)
ふるさと納税はこちらから。
④つくも4号のきなこ 株式会社 丸三美田実郎商店(北海道士別市)
水溶きいらずの片栗粉の製造会社。
北海道士別市のふるさと納税はこちらから。
⑤つくも4号の生産者 満月農園(北海道士別市)
つくも4号の生産者として研究開発をしている。
北海道士別市のふるさと納税はこちらから。
⑥つくも4号の甘納豆 Refind 朝日店
つくも4号特産品研究会の初代会長。
(結)
つくも4号特産品開発研究会「つくしんぼ」。北海道士別市。
「羊のまち士別」「合宿の里士別」。札幌市に次いで広いこの地域には、魅力ある天然資源が数多くそろっている。まだ、足りないものはある。それでもなお、力強く動きを強めている人もいる。北海道士別市の食の魅力を発信する組織。つくも4号特産品開発研究会「つくしんぼ」。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
(編集後記)
実は、編集者は、元公務員。「お役所仕事」が嫌いな言葉である。もちろん、人のことではない。がんじがらめになる気持ちがよくわかるからである。なぜ、そうなるのかはわかる。会社のように全責任を負う体制がないからである。中間管理職ほど辛いものはない。
さて、私たちの暮らす北海道では、北海道フード・コンプレックス国際戦略総合特区として、2011年(平成23年)12月にその優位性を活かし、国が目標とする「食料自給率の向上」や「食品の輸出拡大」に貢献するため、内閣府から「北海道フード・コンプレックス国際戦略総合特区(略称:フード特区)」の指定を受けており、この特区制度を活用し、国と道が議論を重ね、付加価値率の向上、北海道バイオ産業の研究成果の活用、消費者への適切な情報提供を目的に、「北海道食品機能性表示制度(ヘルシーDo)」が施行されました。
※ヘルシーDo認定企業が自主的に運営するブランドページ「ヘルシーDo推進協議会」に詳しい掲載内容があります。ちなみに、機能性健康食材として考えられているのは、①大豆イソフラボン、②アスパラガス、③タモギタケ、④ダッタンソバ、⑤オリゴ糖なども含めて30項目がある。
地域の情報誌
「やまと ロゴ」
「士別旅情がテーマ」
「地域の元気を発信する冊子」
「春夏秋冬の季刊発行」
「持ち歩く手帳」
※オホーツクとの連携。
春「山笑い」、夏「山滴る」、秋「山装ふ」、冬「山笑う」。
四季折々の魅力がある日本の、大きな島国である北海道の、「道北」に佇む天塩岳。
そこから天塩川が流れていく。四季折々の恵みを受け、それぞれの道を進んでいく。
私たちの暮らしには、いつもその素敵な「自然の恵み」にそっと、包まれている。
春と夏、秋と冬。4つの季節が巡る度に、持ち歩きたくなる手帳のような情報誌。
北海道だから美味しい「食べ物」はあるし、素晴らしい「手仕事」もある。
巻頭には、「季節の便り」。巻末には、「季節の行事」。そして、この情報誌の大きなテーマである、この「地域の饗と藝」を掲載しています。
ポスター
「白背景に赤字の食べ物ポスター」
「黒背景に白字の手仕事ポスター」
これ、おいしそう。士別のグルメを食べつくす。
お米:
鈴木農場、産直の谷農園、水留農場、ノースリーフ合同会社、田舎塾、松浦農園、満月農園。
お肉:
いろは肉店、リカー&フードかわ井、株式会社サフォーク、かわにしの丘しずお農場、羊と雲の丘観光株式会社、㈱山本農園、まちづくり士別㈱、ファームあるむ
その他:かまぼこ、あったかふぁーむ、三栄アグリ、株式会社イナゾーファーム、北ひびき農業協同組合、農事組合法人士別農園、株式会社志BETSホールディングス、峯田牧場、安田産業㈱、有限会社もり屋、たよろ春小麦の会、岡部 喜三郎、村上養蜂場、日の出食品、オメガファーマーズ、
季節限定:メロン、生スィートコーン、アスパラガス。
天塩岳の麓のまち:士別市の饗
道立自然公園「天塩岳」や北海道第2の大河「天塩川」の源流に位置し、自然豊かな「景観」が自慢。
四季の変化がはっきりとした内陸性気候のため、おいしい「大地の恵み」に溢れている、北海道士別市。
あら、ステキな体験。士別らしさを知りつくす。
社会福祉法人士別愛成会、士別inn翠月、朝日地域交流センター「和が舎」、ペコラロッジ「ルナ」、株式会社士別カントリー倶楽部、サフォーク羊毛手紡ぎ体験、創温手順工房、士別軌道㈱、サフォークムートン、羊毛100%ピュアウール寝具3点セット、北海道士別産羊毛、北海道士別産羊皮、
天塩川源流のまち:士別市の藝
道立自然公園「天塩岳」や北海道第2の大河「天塩川」の源流に位置し、自然豊かな「景観」が自慢。
四季の変化がはっきりとした内陸性気候のため、素敵な「自然素材」に恵まれている、北海道士別市。
お野菜たち
北海道の野菜たちには、活用の道がたくさんある。
春はアスパラ、夏はトマトにイチゴ、秋はジャガイモや南瓜。
三色アスパラをつくっています。緑色と白色と紫色のアスパラガスです。
北の大地・士別市で育ったアスパラガスです。昼夜の寒暖差が激しくおいしいアスパラガスが育つ最適の環境です。新鮮な産地直送のアスパラガスをご賞味ください。
お取り扱い期間は、グリーンアスパラは、4月下旬から8月上旬。ホワイトアスパラとパープルアスパラは4月下旬から6月上旬までとなります。
夏は、ミニトマト。赤色に、紫色に、緑色に、黄色に、オレンジ色に、茶色のミニトマトが夏を彩ります。
トスカーナバイオレット・イエローミミ・ラブリーさくら・アリシア・みどりちゃん・サンショコラという品種を育てています。いずれも生食用になります。
その収穫したミニトマトから加工したミニトマトジュースを販売しております。色合いも綺麗で、のどを潤しながら、見た目も楽しんでもらえるミニトマトジュースは、8月上旬から製造販売しています。まだ、小規模生産になりますので、在庫がなくなり次第販売を終了いたしております。
秋は、ジャガイモに南瓜をつくっています。
じゃがいもは、とうやに、きたあかりに、メークインという品種を栽培しています。それぞれに特徴がありまして、煮崩れしにくい「とうや」。煮崩れしやすい分、ホクホクした食感が持ち味の「きたあかり」。粘質で煮崩れしやすい「メークイン」を育てています。9月から10月ころまでお取り扱いしています。
かぼちゃは、ほっとけ栗たん、栗政宗、おいとけ栗たんを育てています。栗のようなカタチをしています。
そのほかに、スイートコーンや葉物野菜、にんにくに、イチゴなどの作物を育て、出荷しています。
北海道の羊肉
北海道の中央にある旭川から、北へ1時間程車を走らせると辿り着く、士別市。
その小高い丘に私たち、しずお農場はあります。
冬は一眸ただ白皚々に。寒さは時に氷点下30℃と厳しく、
内陸特有の夏の暑さは、32℃を超える日も。
農場から見下ろすのんびりとした町並みに一際堂々と日本最北の大河、天塩川。
昇る朝日と沈む夕日をなだらかな丘から眺めながら、
四季の移ろいと共に700頭のサフォーク羊は暮らしています。
士別の長い冬が明けるまで、羊舎では、毎日のように新しい命が生まれます。
出産は特に気が抜けず、24時間、従業員は目を離さず片時も離れられません。
輸入される外国産のサフォーク羊は、同じ品種であっても、しずお農場と育て方は全く異なります。
外国では、多くの頭数規模による為に放牧され、その土地の青草を食べ、自由に育ちます。コストはかかりませんが、この青草が羊肉独特の臭みとなり、放牧で筋肉が発達し、肉質は硬く筋も多くなります。
では、しずお農場ではどうだと思いますか?
身体の弱いサフォーク羊は、人の目が常に届き、温度や湿度、完全な衛生管理がされた羊舎で過ごし、天候を見ながら外で過ごす時間も与えます。
飼料は、大豆や小麦、とうもろこしやビートパルプをバランス良く配合した穀物飼料で、ビートが金色に輝く脂の甘みとなり、羊肉の臭さはありません。
外の厳しい環境に長い時間いないことで、無駄な筋肉がつかず柔らかい肉質です。
ミナト
湊祐介、2030年札幌オリンピックをめざす。「継続は力なり」の実践。
<前半戦~オリンピック出場(1994~201?)~>
私は、リレハンメル五輪で日本が金メダル獲得したのを観て、この競技をはじめました。
ですので、これからのスキー競技の盛り上がりは、私たち現役世代や高校生、大学生などのスキー競技を日本を背負う選手、そして、その幼稚園児、小学生、中学生などの競技人口を多さも、裾野の拡げ方が日本の今後の進退を左右する重要な要素の一つであると思っております。
ですので、私は、私自身の目で見てきたこの競技の特性や、日々の過ごし方などを振り返りながら、そして、今のこの地域を見据えながら、どのようにトレーニングを重ね、また、一個人として出来ること、また、未来への足取りを見つけていく、そのために私の考え方をまわりに示すことで、勇気や希望を見つけようと思いました。
「挑戦」この言葉は、とても勇気のいる言葉です。スポーツをしていく上では、いつもライバルは自分自身です。メンタルトレーニングも必須になります。一般的に、スポーツと言えば、サッカーや野球、バスケットボールやバレーボール、陸上競技そして、スキー競技のように、競技人口の多寡が推移していきますが、この本を読むことで。読者の皆さまがスキー競技がもっと楽しくなり、そして、私とともに、世界を舞台に戦うスポーツ選手、個人的にはスキー競技でも、ノルディック複合選手になりたいと思う、時代の未来を担う選手の「希望」となるような道標になるように心がけ、本を書いております。
まずは、私が歩んできたスポーツ選手としての軌跡を振り返りながら、これからの私と、私の身近な選手育成、そして、育成という夢を追う挑戦者たちが辿るであろう、今後の動向について記載していきます。
この本の出版に向けて、ご尽力いただきました皆様、まことにありがとうございます。
ともに、新たな新しい舞台で活躍していきましょう。 「湊祐介(手書き)」
-----
冒頭にも触れましたが、私がこの競技をはじめるきっかけになりましたのは、
1994年のリレハンメル五輪の金メダルのシーンを見た時でした。
その当時の日本代表選手は、阿部雅司・河野孝典・荻原健司であり、現在は、長野市長、日本オリンピアンズ協会の理事、北海道名寄市の特別参与と札幌オリンピックミュージアム名誉館長などをしておられます。(2023年 月現在)
その私の憧れの選手と、私が始めてあったのは、私が のときでした。
そして、私の初のオリンピックの舞台。
こうして、私のオリンピックの舞台は、通算戦績「」となっております。
<後半戦~士別市朝日町にて~>
《イトイ産業にて》
《士別市の良さについて》
いま、この町は、人口減少の波にどうあらがうかを考えている人たちがいます。
私は、2021年4月にイトイ産業に入社しています。
合宿のまちとして、取り組みを進めており、
朝日町にはジャンプ台がまちなかにあり、その選手がジャンプ台にいる距離が近いために、
カフェで飲みながら、農作業の合間とかに、選手を応援してくれる距離感の近さがあります。
市内には、陸上競技場の位置に、トレーニング施設も近隣に整備されているので、合宿地としての魅力はあると思いますが、観光の側面の充実度が課題と思います。
日本全国や海外の有名どころには、必ず、リラックス環境や、リフレッシュ環境、B級グルメも含めて食事や
例えば、秋田県鹿角市では、スキー、陸上、テニス、体育館の設備が整っており、一つにの場所で完結でき、室内体育館、実際の競技、お風呂、食事ができる。
山形県蔵王温泉は最新の設備も整い、サウナや温泉などの魅力があるので、集中したトレーニングに最適な環境です。そのほかにも、
そうしたその他の地域の良さを実感したために、地域と比べることが、私の強みでもありますので、今後の地域の基準作りといいますか、判断「ものさし」の一人でありたいと考えております。
幸い士別市は、農業を基幹産業として発展した経緯がありますので、魅力的な食資源に恵まれています。
また、行政面積も札幌市に次いで広いため、山間部も多いのですが、自然豊かなまちのため、多種多様な面で
取組がしやすいと考えております。
羊。イギリス発祥のサフォーク種という、アニメを好きな方はわかると思いますが、頭が黒いため、パンダ羊ともいわれている、
札幌オリンピックに向けて誘致しているのであれば、士別市もタレント発掘アカデミー都市としてジュニア世代を育てるプログラム計画を作る。未来ある子供達と地域を繋ぐ役割になりたいと考えています。そして、人と人とを繋ぐ、アスリート人財をこの地域からつくりあげていきたいと考えています。
《私の野望について》
今の私の最大の目標は、
士別市からオリンピック選手を誕生させること。
そして、今までにない「新しい合宿の仕組み」づくりをしていきながら、
現状のスキー界は少しづつ、人口減少の影響を受けながら衰退の道を歩んでいってます。
私はこのスポーツの知名度を上げていきたいのです。
この業界に新しい取り組みを入れて行きたいと思います。
今世の中では、新しいものがなかなかできにくいので、組み合わせをしていく流れが少しずつ出来上がっていますので、私にできることを取り入れながら、一歩前に進んで言っております。
先ずは、自ら働きながら2年後の全日本選手権で日本一を目指します。
具体的には、構想段階のものもありますが、
①アスリート×農業の取り組み
②小規模のエンタメ化したスポーツ、イベントの開催
③ジュニア育成×合宿の里。
④アスリートに特化した食材加工品の生産。
<大会出場>
第30回全日本サマーコンバインド朝日大会
札幌宮の森サマージャンプ大会
今長野県飯山市で竹内たくくんが取り組んでるジャンプ大会あります。
<対話シーン演出調>
一つにジャンプ台の改修工事についてと、陸上競技場もあります。
現場に入っても合宿者が実際には来てるだけで、観光に行くようなプランもないですし。
食に関しては、サフォークの味について評価が高い。
今私にできるのはスポーツです。
同世代と子供達に届いてほしい。
札幌オリンピックに向けて誘致しているのであれば、士別市もタレント発掘アカデミー都市としてジュニア世代を育てるプログラム計画を作る。スポーツで地域活性化ですね‼それと子供達に楽しんでもらいたい。
未来ある子供達と地域を繋ぐ役割になりたいですね。
誰かの頑張ってる姿、未来に向か姿を見てると応援したくなります。
人と人とを繋ぎやすいのはアスリートだと信じています。
多寄農家さんで余ったじゃがいもあるらしいんですけどもったいなって思ってました。
大豆加工商品を売り出したいです。
アスパラも栄養価もありますし、美容にも使えそうですね。
今士別にいるから何も思わないけど都会の人は来ただけで非日常体験かもしれませんね。
改めて士別市の魅力発展のためアスリートを軸として考え合宿、観光、関係人口拡大に繋げるようにできることをやっていく。
アクテビティーも知らないだけでおもしろいけど、小さい企画のものもあるのかと。
マラソンは大会があって合宿がある。スキーも大会があって合宿をする。
独自で作りたいのですが、スポーツ選手に向けた独自のマップです。
勿論、練習場所との繋がりは大事ですし、やはり体験できるが大事だと思うので農業体験、見学、羊のふれあい、士別市の良さを身近にしたいです。日向温泉でひまわり畑にするか、夏の花植えしてスキー場も使いたいですね、水月の近くのコースは紅葉がオススメです。
こんなスポットも楽しみながら走れる情報のしかけ方。
羊の肉は都内に行けばそれなりに人気ですからキャラクター作って売り出したいですね。
学校給食においては地場農畜産物を活用 した「ふるさと給食」は今後は必要な事だと思います。
今の世の中子供達は外に出ることも少なくなり、非接触を避けられない環境で過ごし人とのが変わり方、
マスク生活でお互いの顔も知らないような環境があるのではないかと考えてます。
農業体験と共に食育と人間関係も学ぶ機会を作れればいいですね。
競技にあった施設(私ならジャンプ台、クロスカントリーコースがある)宿泊先の宿泊費の安さは重要。
朝日農業センター、研修センターは体育館あって安くて良い。
後は競技会の知り合いがいて市と情報共有できること。
陸上はもう走り込みが重要なので
ランニングコースですね。
土地柄の飲食店があるなどですかね〜。
士別で言ったら羊だと思います。
地域の良さ、今ある資源を利用するなら1番イメージしやすいです。
羊と雲の丘観光にある牧場で子供が走り回ってる姿見てると単純に良い光景だなど思いました。
これぞ知ってて知らない場所って思いました。
でもリアルな士別を伝えるならおもてなしとして言えると思います。私だったらこんな感じですね。
キャンプとフェス一体型です。ちなみにスキー大会も混ぜたいです。
地域の人達が遊びに来る。大会参加者と家族が待ち時間に遊んでられるようにブース確保する感じがいいですね。
最近考えるようになった事。ジュニア育成に適しているように思えます。
最低限の施設設備、ジャンプ台の改修工事(ランディング板の新たな活用方法を生み出す)
トレーニング多様化できるスペースにして幅広い選手の受け入れ口にしたいですね。
そのに小さい濃縮したキッズ達(競技分野に問わない)育成と教育を合わせて行う。
そので自分が得意な分野を見つける、願わくばスキー競技。ですが、その道は個人で決めれる仕組みにしていまう。
スポーツ×農業×観光。
先ずは私の目標はこの街からオリンピック選手を輩出したいです。
その経過として事業を成り立たせたいと思ったます。
先ずはアスリートの確保。
次に実績が欲しいので私が見本となりスキーで成績を出してメディア露出しながら宣伝。
観光資源を活用した情報発信と特産物の開発。
下げるしかない商品の加工がおもしろそうと思ってます。
ショカイショカイ
湊 祐介(みなと ゆうすけ、1985年3月15日 - )は、日本のスキー選手。専門はノルディック複合。
秋田県北秋田郡阿仁町(現:北秋田市)出身。鷹巣農林高等学校時代からノルディック複合選手として各大会で活躍するなど早くから期待されていた。日本大学に進学後、2007年、ユニバーシアードトリノ大会の個人スプリントで優勝、グンダーセンで準優勝した。
大学卒業後は東京美装興業株式会社に所属。2009年、世界選手権リベレツ大会の団体戦にて、日本チームのメンバー(湊祐介、加藤大平、渡部暁斗、小林範仁)として優勝。個人戦2種目でも一桁順位に入る活躍を見せた。秋田県県民栄誉章受章。2010年バンクーバーオリンピックに出場。
オリンピック
-
-
個人(グンダーセン、ラージヒル)26位
-
-
-
団体 5位
-
世界選手権
-
-
個人グンダーセン40位
-
-
-
個人(マススタート)15位、個人(グンダーセン、ノーマルヒル)6位、団体優勝、個人(グンダーセン、ラージヒル)9位
-
-
-
個人ノーマルヒル33位、団体ノーマルヒル6位、個人ラージヒル28位、団体ラージヒル5位
-
-
-
団体ノーマルヒル4位
-
ワールドカップ
ユニバーシアード
ショカイ
-
人口2,000人足らずのこの町にスモールヒルとミディアムヒルの2基ジャンプ台があり、毎年夏と冬にジャンプ・コンバインドの試合が開催されています。
またスポーツ合宿誘致に積極的な街のイメージもあります。 -
先月、朝日で行われたサマージャンプ大会で印象的な場面がありました。
-
地元のジャンプをやってる子どもたちが休憩中の湊選手のところへ行き、色々質問してました。それも何度も。
-
「どうやったら飛べるようになりますか~??」
「足速くなるにはどうしたらいいですか?」
「普段何食べてますか!?」 -
などなど。
真面目なのから面白いのまで笑 -
圧倒的な人気!
-
その試合、ワールドカップチャンピオンやオリンピック出場選手まで何人も出場していましたが、湊選手が圧倒的人気でした。
子どもたちや、その親御さんまで。
試合中もダントツの声援を受けてました。 -
まだ移籍して4ヶ月も経たないうちに、ここ朝日町での人気を確立させていました。
まるでここ出身の選手の様に
それはもうさすがの一言。 -
スキー競技を通して、“街を盛り上げる”ってこういう事か!と勉強させられました
-
たくさんの人に自分の活動を応援してもらえるって本当に嬉しい事で、選手冥利に尽きます。
-
競技の結果+α
-
人が地域を活性化するって、なかなか出来る事ではないですが、湊選手×イトイ産業さんのコラボだからこそ実現したのかなと感じました。
きっと、春から地道な活動や取り組みがそうささせたんだと思います。 -
極端な言い方ですが、我々スキー選手はスキーしか出来ません。
しかし、そのスキーを通して色々な事が出来ると思っています。 -
様々な選手活動の形がありますが、選手である以上結果を出す事は当たり前の大前提で、それ+α何が出来るかってのが凄く大事な気がします。
-
私自身もここまで応援してもらっている、それ以上に地域やこのノルディック複合競技に還元して盛り上げられるほどの選手になれるよう引き続き頑張ります。
-
これからの湊さんの活動にも注目です。
-
イトイ産業
-
そこの地元企業であるイトイ産業がスキー部を数年前に設立しました。
このスキー部にこの春から湊 祐介 選手が所属しています。コーチを兼任しながら。
センキョ
-
湊 祐介みなと ゆうすけ
-
選挙
-
士別市議会議員選挙
-
投票日
-
2022年4月17日
-
氏名
-
湊 祐介みなと ゆうすけ
-
得票数
-
452当
-
年齢
-
37
-
性別
-
男性
-
党派
-
無所属
-
新旧
-
新
-
主な肩書き
-
会社員
-
ウェブサイト
リンク
スポーツ合宿 × 地域活性化のヒントを学ぶ会を開催。地域に受け入れられる活動を作るには? | 我楽田工房 (garakuta.tokyo)
『関係人口の社会学〜人口減少時代の地域再生』著者 田中輝美さんインタビュー – ブック・ラウンジ・アカデミア (bookloungeacademia.com)
【公式】にほんものストア -厳選された日本全国の美味しい食べもの、こだわりの道具が見つかるオンラインストア- (nihonmono.jp)
tt-cup 2022 TAKE AIR 開催決定!!|News|team taku
北海道オホーツク物産展 (hokkaidobussanten.com)
豆の力で地域を元気に!:農林水産省 (maff.go.jp)
【うん、やっぱりパッケージによって感じる値段って変わります。新潟の「しろくまのお米」パッケージ】 | パッケージを売らないパッケージ屋 パッケージ松浦 (p-matsuura.co.jp)
関係人口とは | 道内版関係人口創出・拡大事業サイト (hokkaido.lg.jp)
農家アスリートが作る北海道産大豆プロテイン!身体と地球に優しく!(MOMONO Shinya 2022/03/18 公開) - クラウドファンディング READYFOR
石川直宏さんと長野県飯綱にアスリートが”化ける”農園をつくりたい!(株式会社I.D.D.WORKS 2021/07/05 公開) - クラウドファンディング READYFOR
米とスポーツで 豊かで健やかな生活を | metropolitana.tokyo [メトロポリターナトーキョー]
手作り米俵の販売 【ギフトにも最適】 こめだわらドットコム (komedawara.com)
「何もしない時間から、発明は生まれる」元Appleのエンジニア、最先端のコーヒー器具で届ける“至福の5分間” | DIG THE TEA
ノーポイントから世界の頂へ。アルペンスキーレーサー佐々木明の挑戦。(佐々木 明 2022/07/19 公開) - クラウドファンディング READYFOR
子供たちが安心して食べられる「自然栽培・無添加コロッケ」で地球もみんなも健康に!アクティビティ - CAMPFIRE (キャンプファイヤー) (camp-fire.jp)
理念・ご挨拶|株式会社トマトコーポレーション (tomato-corporation.co.jp)
酔鯨酒造株式会社|SUIGEI Brewing Co.,Ltd
東京アスリート食堂のメニューについて | 街の健康バランス食堂「東京アスリート食堂(アスショク)」 (asushoku.com)
アスパラの栄養と驚きの効能!栄養を逃さない保存~調理のポイントとは? | ふるなび公式ブログ ふるさと納税DISCOVERY (furunavi.jp)
にんにく商品 | 株式会社フィールド (field1996.co.jp)
野菜・果実(NB/PB)受託加工のご案内 | しらかわ五葉倶楽部[野菜・果物加工専門会社] (shirakawa-goyouclub.com)
「スポーツで地方創生」成否を分ける鍵 横浜DeNA初代社長・池田純氏インタビュー スポーツで街おこし プロ化だけが解じゃない Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン) (ismedia.jp)
スポーツを産業に昇華する「民営化」のパワー(3ページ目) | 日経クロステック(xTECH) (nikkei.com)
